優しさとは。
こんばんは、私です。
今日はちょっと重い話をしようかなーと。
長くなるので、そんなの読んでられるか!と言う方はまあプラウザを閉じていただいて。
そもそもこれを見てる人がどれくらいかもわかりませんが。
さて、実はですね、
先日は僕の祖父の一周忌でした。
初めてしっかりと見つめた人間の死というもの。
母方の祖父母とは一緒に住んでいたので、余計に心に来るものがありました。
1年経った今でも。
原因は肺癌でした。
3年ぐらいですかね、闘病生活を始めて。
実は僕は一度現役で大学に入っているのですが(過去記事参照)、いつどうなるかわからない祖父に、大学へ入る姿を見せるため、というのも理由の1つでした。母親に頼まれて。
昨年の今頃は浪人生していました。
たまたまその日は体調が優れず家にいたのですが、
仕事を休んでいた母親が病院に行くと言って数時間後、様態が急変したからすぐに来いと連絡を受け、部屋着のまま家を飛び出したのです。
最寄り駅に着いた時、目の前で電車を見逃した悔しさは一生忘れられません。
普通列車しか止まらないので、次の電車が来るまで待ち遠しく、病院付近の駅に着いてこれでもかというぐらい走りました。
祖父が息を引き取ったと母親から伝えられたのは、病院の敷地に着いた途端でした。
あの時電車に乗れていたら。
もう少し足が早かったら。
なんて思ってしまいますよね。
結局、死に目に立ち会ったのは母親だけ。
家族が揃ったのは、息を引き取ってから2,3時間がでした。
今では死亡確認は家族揃ってから行う、ということも出来るそうで、全員で医師が確認するのを見届けました。
…と、言うのがまぁ1年前の出来事なのですが。
祖父はとにかく優しい人でした。
近所の方々だったり、手続きのために訪れた銀行だったり、あらゆるところへ亡くなったことを伝えに行くと、
誰もが皆口を揃えて「本当に優しい方だったのに」と仰っていました。
こんな人、なかなかいないと思います。本当に。
いつも自分は後。心配をかけるのも避ける。
だから損をすることも多々あったし、初めて癌がわかった時にはステージlll。
家事はほとんど祖父がやってくれていたので、今になってそれがどれほど助かっているのかを痛感します。
大学辞めるのを初めて相談したのも祖父でした。
「やりたいことやればいいよ」と、背中を押してくれたのです。
本当は自分は何がしたいのかと、今一度気づかせてくれました。
勉強中には度々差し入れをくれたりなんかもして。
入院するようになってからメールを覚えて、初めて届いたひらがなだけの文面は嬉しくて思わず泣いてしまうほどでした。
本当はもっと恩返しがしたかった。それに尽きます。
車の免許も取っていたから、もっと色んなところへ連れて行ってあげたかったし、
バイトして貯めたお金で食事に誘うこともしたかった。
こうして今でも浪人していることは、とても申し訳なく思います。
後悔先に立たず、とはよく言ったものですね。
ぐちゃぐちゃな話ですね。
どうも上手くまとめて話すことが苦手なようで。
さて、
優しさってなんでしょう。
優しさってたぶん、その時その場所では気づかないものなんじゃないかな、と思ったりします。
その時々でも感謝の意を抱きますが、どこかでそれを軽んじていることはないでしょうか。
こうして失ってから初めて、与えてくれたものの大きさに気付くものではないでしょうか。
人間とは、実に愚かですね。
以前とある方が、「感謝」の対義語は「当たり前」だと言っていました。
有るのが難いと書いて有難し。
滅多にない、珍しい、なんて意味を古典で学んだと思います。
だからこそ、感謝しなければならないのだ。
日本語の美しさを感じますね。
人に優しくするというのも難しいです。
優しくしよう、と思って行動した時点で、それは優しさではないような気がします。
気持ちよりも先に行動が来るものだと思います。無意識的な、とでも言いましょうか…。
だから、それを、万人が口を揃えて賞賛するほどに行ってきた祖父はとても偉大なんだと、今になって痛感します。
尊敬する人を問われれば、それは間違いなく祖父です。
私は、祖父のような人間でありたい。
そう思って行動することも、真の優しさのは言えないのでしょうけどね。
と、まぁ結局のところ自分の胸に沈んでいたものを吐き出したかったがためにこのような文を書きました。
ここまで読んでくださった方々いるのならば、心より感謝します。
こっそり、教えてくれたら嬉しいです。笑
お付き合い頂きありがとうございます。。
次はもうちょっと楽しいお話ししますね笑
Stella.